黎明期の代表的な機種から見るスマスロの現在と未来

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俺はパチンコ玉もメダルも大好きだ。俺にとってパチンコ玉やメダルってのはどんな宝石よりも美しい物質だった。

もちろん、同じサイズのダイヤモンドとパチンコ玉だったら迷わずダイヤモンドを選ぶが、その手に入れたダイヤモンドはすぐに宝石商に売り払って、その金をぜんぶパチンコ玉かメダルに変えてしまいたい……。

たぶん、俺がパチンカスになったのは、パチンコ玉やメダルの手触りや音が好きだからで、パチンコやスロットを打つ楽しみのなかから「触覚」と「聴覚」の要素が消えたら、これほど寂しいことはない。

だから、正直なところ、俺はスマスロの導入には反対だった。メダルレスのスロットだって?!そんなの、楽しみが半減じゃないか……!?

だが、いざスマスロが導入され、ヴァルヴレイヴを打ちはじめたが最後、俺はすっかりメダルレスのスロット、スマスロの虜になってしまった。

射幸心煽りまくりでスロッターのツボを完全におさえておいて、そこにスマスロ北斗の拳の登場。もうトドメみたいなもので、抵抗不能。

いまや、北斗の拳やヴァルヴレイヴの席から離れることができず、朝から晩まで電子メダルの増減に一喜一憂する日々。フロアに鳴り響くパチンコ玉とメダルの音も、すでに懐メロの音色になりつつあるほど。

「パチンコ玉やメダルは、家でさすったりジャラジャラさせたりしてればいい。時代はキャッシュレス、電子マネー、そしてスマスロなのだ!」などと俺に言わせる力が、スマスロには確かにある。

スマスロの新規と古参、北斗の拳とヴァルヴレイヴ

スマスロの二大機種は、しばらくは『北斗の拳』と『革命機ヴァルヴレイヴ』で落ち着くだろう。北斗の拳は2023年の4月に稼働を開始した新規の機種、ヴァルヴレイヴは2022年の11月に稼働を始めている古参の機種だ。

スマスロはまだ導入されてから日が浅く、機種自体もそれほど多くはない。

北斗の拳、ヴァルヴレイヴ以外にも、バキ、ソードアートオンライン、主役は銭形、ゴブリンスレイヤー、エリートサラリーマン鏡、リノヘブンなどの機種があるが、やはり、SANKYOのヴァルヴレイヴ、サミーの北斗の拳が俺個人としてはかなりアツい。

北斗の拳には「新台のスマスロ」としての魅力があり、ヴァルヴレイヴは「初期のスマスロ」の魅力があるといえるだろうな。

ヴァルヴレイヴと同期のバキは、もうスマスロユーザーの間では「勝ち筋がない」と見切りがつけられているし、北斗の拳と同期のゴブリンスレイヤーなんかは、北斗の拳がある以上は遊ぶ理由がそれほどない、ってところにもう落ち着きつつある感じだ。

スマスロでは新規だがスロットとしては古参の北斗の拳

北斗の拳はスマスロとしては最近できたばかりの機種なのだが、スロットのなかでは古参の機種だから、俺みたいな長年のスロットファンにはたまらない魅力がある。

俺以外のスロット打ちも、「あの北斗が帰ってきた!」って感じでスマスロの北斗の拳を打ちまくっている印象がある。

さっきゴブリンスレイヤーの話題を出したけど、やっぱ、ゴブリンスレイヤーには北斗の拳みたいな「歴史性」はないもんな。

ただ、問題なのは北斗の拳には「歴史性」だけがあって、勝ち筋があんまりないということか。

はっきり言っちゃうけど、まあ、ぶっちゃけ北斗の拳はぜんぜん当たらない。ぜんぜん当たらないけど打っちゃうのは、もうただただ「懐かしいから」っていう理由だけかもしれない。

だって、通常時のモード推測の感覚とか、ケンシロウが歩いてるのを延々と見続ける感じとか、往年のスロットファンとしては涙が出るくらいだもんね。

「俺は本当の青空に浮かんでいる雲よりも北斗の拳の画面のなかの雲を見ている時間のが長いよなー」ってことを反省したりもした。まったく、恥だらけのくそったれ人生であります。

まあ、なんにせよ、スマスロからスロットを知る若い世代も、北斗の拳の無双転生で昇天する感覚、苦行からの快楽の味はぜひとも知ってほしいところだ。

射幸心をあおるスマスロ革命機ヴァルヴレイヴ

スマスロ北斗の拳が「懐かしさ」に偏っているとすると、ヴァルヴレイヴのほうは「射幸心」に特化しているスマスロっていう手応えがある。

おそらく、今後もっとも「破滅」するスマスロ打ちを量産する悪魔的な機種で、とにかく、気を抜くとあっという間に金が吸われていくことに最大の特徴がある。

スマスロってのは、具体的なメダルと違って抽象的な数値しかないから、「減っていく」ことの感覚がどこかやっぱ希薄なわけ。

クレカの買い物に実感がともなわないみたいなもんで、スマスロの負けにもあまり実感はないから、もう、「勝ちたい」って感覚でガンガンお金を投入したくなってしまう。ヴァルヴレイヴには、人をそういう泥沼に引きずり込む危険な魅力がある。

なんでヴァルヴレイヴがそうなってるかっていうと、スマスロ黎明期の「設定」の盲点をついているというか、「規制のなかで好き勝手やったらどうなる?」っていうのが露骨だからだろうな。

よくいえば「夢がある」けど、悪くいえば「荒すぎる」ってところか。一発の爆発力はすごいけど、まあ完全に「宝くじ」だね、ヴァルヴレイヴは。

そうとわかっていても「クソ台が!」とか思いながらも、爆発したときのことが忘れられないから、俺も結局ヴァルヴレイヴを打ってしまってる。

北斗の拳とヴァルヴレイヴから見えてくるスマスロの実態

北斗の拳とヴァルヴレイヴを中心に半年くらいスマスロを打ってきて身に染みてわかったのは、スマスロは「ギャンブル依存症」をまったく改善しないし、むしろ悪化させるっていう実態だ。

そもそも、スマスロというのはその開発のお題目のなかにでかでかと「依存症対策」ってのが掲げられている。

そこには「出玉情報等が遊技機情報センターにより管理され、ギャンブル等依存症の対策となります。」と書かれているのだが、この文章の意味がわかるやつは、たぶんホールのなかには一人もいないと断言していい。
サンドイッチマン富沢じゃないが、ちょっと何言ってるかわからない。

「出玉情報が管理されている」、ここまではわかる、だがその次に「(だから)依存症の対策になります」と繋がると、一瞬で怪文が誕生するのだから、おどろきだ。

俺のスマスロの記録ももちろん情報センターに管理されていて、自分の出玉情報を知ることができるのだが、「そんなものが一体なんになる?!」というのが正直なところだ。

スマスロ北斗の拳もヴァルヴレイヴも依存症を悪化させる

スマスロは、北斗の拳にしてもヴァルヴレイヴにしてもそれぞれに「依存症」を強める要素はあれど、依存症対策になるような要素はまったくないというのが現実だ。

もちろん、北斗の拳やヴァルヴレイヴ以外の機種も言わずもがなではあるのだが、北斗の拳が「懐かしさ」によって、ヴァルヴレイヴが「射幸心」でそれぞれ突出しているために、この二つの機種がより多くのスロット好きを強度の依存状態に誘い込んでいると俺は思う。少なくとも、俺はそうだ。

そもそもパチンコやスロットの規制が強くなった理由を考えるならば、北斗の拳はまだしも、ヴァルヴレイヴみたいな「射幸心を煽りまくる機種」はその存在すら許されないはずなのだが、その実態はというと、ヴァルヴレイヴはいまも平然と稼働を続けているし、スロット打ちの金を吸い込み続けている。

スマスロってのは「10万円ぶちこんで20万円を取り返す」みたいなイカれた世界でしかなくて、万枚の夢を見ることでようやく打ち続けられるようなものだ、と覚悟を決めて打つことをオススメする。

北斗の拳とヴァルヴレイヴから見たスマスロの今後

今後のスマスロのことを考えると、おそらくヴァルヴレイヴは近いうちに規制がかかって、北斗の拳はダラダラ遊べる感じで残るような展望が見えてくる。

まず、ヴァルヴレイヴのほうだが、これはいまだに稼働が続いているのが不思議なレベルで、近々、かつての自殺者が出たような社会問題に発展しかねない危険な機種だから、そろそろ規制が入るんじゃないか?と俺は踏んでいる。

むしろ、規制が入らないとしたらパチンコ業界の良心を疑いたくなるくらいだが、パチンコ業界には良心がないことを考えると、俺の未来予想図は外れるかもしれない。

こんなに「射幸心」が煽られる機種は久々で、俺も相当の金を奪われたけど、一瞬ではあれど「万枚の夢」をまた見れたことはうれしかったし、お役御免って言いたいところだ。

本音を言うと「もうこれ以上俺の射幸心を煽んないで泣!」っていう悲鳴みたいなもんで、DVしてくるけど別れられない彼氏みたいな感じかもしれない。

北斗の拳は、まあ、昔の感覚で「飽きるまで打って適当にやめる」ってのがまだできるから、規制もそれほどかからず、引き続きスマスロの看板的な機種として残ると思う。

スマスロ黎明期を象徴する北斗の拳とヴァルヴレイヴ

スマスロはいまは黎明期だが、もうすぐその黎明期が終わる時期にきていて、北斗の拳とヴァルヴレイヴという二つの機種は「黎明期の象徴的な機種」として記憶されると思う。

スマスロが今後どのような展開をしていくかはわからないが、現段階でだいたい見えてきた「スマスロ」というものの特徴は、ほとんどが北斗の拳とヴァルヴレイヴに集約されている。

で、どんなジャンルも黎明期ってのは「バランス」が異常だったり、ある種の「熱狂」に支配されている傾向がある。

スマスロはもう少ししたら「熱狂」の季節が終わって、「バランス」の調整が始まるというのが、現段階での俺の見通しだ。

俺自身の「熱狂」も冷めつつある。いまは「時代はスマスロだ」というムードによって打たされているが、この時代的なムードによる「熱狂」はそれほど長くは続かないだろう、という感覚があることは疑えない。

実際、そろそろパチンコ玉の感覚が懐かしくもなってくる頃合いだし、ケンシロウが歩くのを見るのにも飽きてきた。

とりあえずは、今年いっぱいはスマスロとつきあってみるつもりだが、これも軍資金が尽きれば一月後くらいには終わる話ではある。