パチンカスの末路はオンカジで自身の死を自覚する

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オンラインカジノっていうのは、パチンカスの墓場なのかもしれない。

オンカジにハマって破滅していった連中を見ていると、自分もふくめて、パチンカスの末路を見ているという感じがある。

だが、オンカジに破滅させられるずっと前から、パチンカスはすでに破滅していた、ということもいえる。

もう死んでいたのにそれに気づいていなかったパチンカス。

そのパチンカスたちが、自分たちの死、その末路にようやく気づかせてもらえる場所。

それがオンカジであったともいえる。

パチンカスというのは、パチンコだけを打つ人間と思われるかもしれないが、パチンカスになるくらいだから基本的にギャンブルはなんだって好きだし、やる。

いや、好きだというより「ギャンブルに呪われている」というのが正しいだろう。

アル中が本質的には酒が苦手であることと似ている。

パチンコ、スロットだけでは飽き足らず、当然のように競馬、競艇、競輪、オートレースなんかの公営ギャンブルは一通り手を出すし、なかには、インターネットカジノみたいな完全に非合法のギャンブルに手を出してしまったどうしようもないやつらもいる。

そして、オンカジに手を出すってのは同程度にどうしようもない選択でしかなく、しかも、最悪の末路である。

オンカジはパチンカスが誘い込まれる最後の末路

オンカジは、合法と非合法の隙間で遊べるギャンブルとして、多くのパチンカスの射幸心を強烈に刺激する新規のギャンブルのひとつであり、おそらく、パチンカスの最後の末路でもある。

パチンカスの多くがオンカジに惹かれていった理由としては、パチンコの出玉規制によって「射幸心」が大幅に減ってしまい、パチンカスとしてのヒリヒリするような感覚と「儲け」がなくなったという歴史的な背景が考えられる。

自分も含めて、オンカジ登場以前の時期のパチンカスっていうのは、どこか欲求不満だった。

当時のホールには、レバーを回す手もどこか惰性で「儲けはないが打つしかない」というような諦めのムードが漂っていた。

出玉規制を通して末路に追い込まれていったパチンカス

われわれパチンカスは、出玉規制を通してふるいにかけられ、いよいよ出口の見えない末路へと追い込まれていった。

パチンコの出玉規制は「ギャンブル依存症」の対策としてとられたものだが、この規制はむしろ逆効果でしかなく、パチンカスとそうではない人間を決定的にわけてしまった悪手だ、というのが、大方のパチンカスの同意するところではないかと思う。

「出玉や儲けがないならもう打つのはやめる」といってパチンコをやめられた人間は幸福だった。

不幸だったのは「出玉や儲けがなくても、少ない儲けでも、負けは取り戻すことができる」といって、パチンコ台にしがみつくことしかできなかった連中で、それが「パチンカス」とさげすまれる存在として選別された。

「かつて、パチンコで儲けることができた」「パチンコで食っていくことができた」という成功体験や、負けを取り返せた感覚が、次第に狭くなっていく末路へとパチンカスを運んでいくことになる。

オンカジ登場以前の人間の末路としてのパチンカス

パチンカスという存在自体、パチンコ業界の末路をしめすものであり、人間の末路をしめす存在でもあった。

オンカジが登場する以前は、この先にまだ「人間の末路」があるということは、想像もされていなかった。

そもそも、パチンコに規制がかかったのは、射幸心を煽りすぎてギャンブル依存症が大量に生み出され、自殺者なども出て社会問題になったからで、パチンカスという存在自体が末路であるということは、パチンコ業界が末路にあった、ということを意味している。

パチンコ業界という末路はもちろん現在も続いている。

いまだにパチンコを「負けを取り返すため」に打っているパチンカスは、たぶんパチンコ業界の末路のなかで、搾取されながら死んでいく。

だが、すでに末路に立たされていて出口がないギャンブル中毒であるパチンカスには、もう一つの、末路のさらに奥の末路に突き進んでいく地獄への道が用意されていた。

それがオンカジである。

末路として開き直っているオンカジに迷い込むパチンカス

オンカジの最大の特徴はギャンブル依存症の末路として完全に開き直っているところにあり、オンカジ側の目的はプレイヤーの破滅のみに向けられており、パチンカスはそのような場所に嬉々として迷い込んでいった。

パチンコ業界は、まだ、それが建前であるとはいえ「ギャンブル依存症対策」のようなことを表明する程度には、責任とうしろめたさを抱えている。

もちろん、責任とうしろめたさはエクスキューズでしかなく、実態は、パチンカスをよりパチンコ狂いにしていくばかりで、言葉と行動が伴ってはいないのだが、そこに「開き直り」はない。

オンカジの最大の特徴は、責任やうしろめたさの欠如であり「プレイヤーは養分でしかない」という他のギャンブルがなるべく隠そうとする事実に対する開き直り、居直りである。

この開き直りは、パチンカスという人間の末路を破滅させるばかりではなく、はじめてギャンブルに手を染める普通の人を、パチンカスをひとっ飛びで越えていき、いきなり、パチンカスが迷い込んでいるのと同程度の末路へと引きずり込むことを可能にする。

末路としてのオンカジはパチンカス以外も依存症にする

パチンカスがオンカジという末路にいくのは、ギャンブル依存症のすすむ道としてある意味当然なのだが、末路としてのオンカジのおそろしさは、依存症でなかったパチンカス以外の人間も依存症にするというところにあるだろう。

そのオンカジのおそろしさの秘密は、強烈に煽られる「射幸心」にある。

前述したように、パチンカスという人間の末路が誕生したのは、社会問題になるほど強く「射幸心」を煽ってくるパチンコ台によって、精神を全面的に破壊されたからだ。

パチンカスは「射幸心」によって破壊された精神を持ちながら、破壊されたその精神をさらに煽ってくれる「射幸心」がすでにパチンコ台からは手に入らない、という欲求不満を抱えながら生きていくことしかできなくなった人種である。

オンカジの強烈な「射幸心」の煽動は、パチンカスに「射幸心」との再会を提供し、倒錯した喜びをパチンカスに感じさせ、欲求不満を解消させる。

パチンカス級の人間の末路を量産するオンカジ

オンカジは、パチンカスという「人間の末路」に到るための裏ルート「飛び級」のようなもので、関わるすべての人間を「パチンカス級の人間の末路」に最速で変えて量産してしまう、いわば、究極の末路だ。

パチンカスは、射幸心を煽られるだけ煽られ「負けたら取り戻せばいい」という意地を植えつけられてしまった人種であるから、オンカジによって欲求不満を解消することには、ほとんど自傷行為にも似た快楽がともなう。

オンカジは、パチンカスが一度パチンコを通してから再会する「射幸心」による二度の精神破壊を、きわめて短いサイクルで起こし、パチンカスではない人間に追体験させる精神破壊をおこなう。

パチンコはしょせんはトータルで1日10万円くらいの賭け金で済むことがあるが、オンカジは2桁万円のベットがふつうの感覚になることもしばしばで「負け」の速度と損失もパチンコとは比較にならず「取り返さなければ」という意地による破滅への道のりが圧倒的に速い。

オンカジは「射幸心の容赦ない煽り」と「養分感覚」という開き直りを通して、パチンコ業界が十年以上かけて熟成させて作り上げてきた「パチンカスという末路」に近い人間を、最悪の場合は数か月程度の短いスパンで作り上げてしまうことができる。

パチンカスにとって墓場であるオンカジでパチンカスが滅びていくことは、パチンカスという末路にとっては仕方がないことだが、パチンカスではなかった人間がパチンカスと同じかそれ以下の末路に迷い込むことのほうに、オンカジの問題と闇があるだろう。

オンカジという末路の前で引き返すパチンカスの存在

パチンカスは、オンカジというさらなる末路に迷い込むタイプのパチンカスと、オンカジという末路の前で引き返すパチンカスの二種類にわかれる。

オンカジにハマらないタイプのパチンカスを見ていると、新規登録の入金不要ボーナスを使い切るために打たなければならない「スロット」があまりに面白くないからという理由で、オンカジという末路を回避しているパターンがよく見受けられる。

自分の知人のパチンカスで身を破滅させている人間は、たいていがライブカジノで破滅的な負債を抱えており、スロットで破滅しているという人間はほとんどいない。
もちろん、ゼロではないが。

スロットで負債を抱えるパチンカスは多いが「オンカジのスロットを打つくらいならパチンコを打った方がマシだ」と急に冷静になり、破滅の手前からオンカジから足を洗い、パチンコのホールに戻っていく連中もいる。

結局オンカジという究極の末路からもとの末路へ戻っているだけ、とはいえ、オンカジから抜け出せただけでもこういうパチンカスはまだ幸せなほうである。

オンカジによる困窮のほうが末路としては悲惨である

パチンカスとしてのみの困窮と、オンカジをプレイした場合の困窮を比較したとき、その末路がより悲惨なのはオンカジによる困窮である。

オンカジでの困窮はより「死」に近い。
オンカジをやっていない場合の困窮も「死」に近いのだが、まだダラダラとではあれ、生き延びている感覚だけはある。

冒頭に書いたように、パチンカスの困窮は「死んでいることに気づいていない」という末路であり「緩慢な死」である。

一方で、オンカジによる困窮は「自分は殺された」という圧倒的な感覚があり、それは「完全な死」である。
ここに、オンカジの末路としての特徴があるといえるだろう。

オンカジの困窮は「完全な死」を突きつけてくるために悲惨ではあるのだが、それが「緩慢な死」でないために「ギャンブルからの全面撤退」を余儀なくさせるという点では、その悲惨さに意味があるかもしれない。

パチンカスにとってオンカジは墓場であり、究極の末路だが、オンカジを通して完全にギャンブルから足を洗うしかなくなったパチンカスが多いことを考えると、複雑な思いにとらわれる。

ギャンブルから足を洗ったところでオンカジで抱えた困窮とともに生きるのだから地獄であることは変わりないのだが「行き止まり」がないと止まれないパチンカスのような人種には、あるいは、オンカジのような究極の末路が必要だったのかもしれない。