元パチンカスがオンラインカジノで過去を清算する記録
オンラインカジノは筆者にとっては「初めてのギャンブル」ではなく、私のギャンブル童貞を奪ったのは「パチンコ」でした。
当サイト“メガウィキ”の記事のなかで、時折パチンコとの比較が出る傾向があるのは、何を隠そう、筆者がオンラインカジノで遊び始めるまえは重篤なパチンカスであったことに起因しています。
私がオンラインカジノのスロットゲームなどの脳汁分泌に対して厳しい態度を示してしまうのは、私のなかで眠っている「パチンカス時代の鬼」の仕業であり、これは、時代とともにパチンコと寝てきた人間に一生つきまとう宿命のようなものでしょう。
オンラインカジノとの適度な距離感はパチンコのおかげ
現在の私は、オンラインカジノで遊ぶにあたっては「自分の経済的余裕があるときだけ遊ぶ」というルールを決めて遊んでいます。
このように、自分がオンラインカジノを仕事の息抜きのための「趣味」として扱い、適切な距離感であくまで遊びとしてつきあえているのは、パチンカスでしかないのに自称パチプロとして生きてしまった20代中盤までの借金無職の経験が活きているためだとも思います。
オンカジの刺激は借金返済だけの空しい日々の救い
ある程度は堅実な職についたからといって、現在も当時の借金のすべてを返せたわけではありません。
「オンラインカジノなんてやってる場合か?」という声が自分の内側から投げかけられることがあることも否定できません。
しかし、やはり仕事ばかりの生活ではどうにも息苦しく、気が変になってしまいます。
借金を返すだけの日々はただ空しいだけ。それによって完済が遅れることは理解ておりますが、私の暮らしには、やはりどうしても「ギャンブル」による刺激が多少は必要なのです。
私はいかにして就活をやめてパチンコを愛するようになったか
筆者は、中高一貫してそれほど学問に興味があったわけではなく「上京」の口実として適当な私立大学の文学部に合格する、という東京都内に無数にいるタイプの怠惰な大学生であり、典型的な「おのぼりさん」でした。
ろくに授業にも出ず(授業についていけなくなる速度は、現在、オンラインカジノのスピードバカラで軍資金が溶けていくスピードよりずっと速かったですね)、鹿児島弁の訛りが恥ずかしくてディスコミュニケーション状態になっていたこともあり、友人も恋人もできず、ただただ時間だけがあるという状態に追い込まれました。
そんな無為徒食の大学生が、暇さえあればパチンコを打つキャンパスライフに突入するのは避けられない事態ですし、パチンカスになるのにはそれほど時間はかかりませんでしたね。
パチプロに就職希望してパチンコだけを打ち続けた日々
現在32歳の私がパチンコを打ち始めたころは、大体14年ほど前ですから、ちょうど5号機時代が黄金期に突入するかしないかくらいの時期にあたります。
『押忍!番長2』とか『まどマギ』『ハーデス』なんかが頭角を現していたころですね。いまでも眼を閉じるとあの演出の輝きが煌めき、出玉の音が聞こえてくるようです。
あの頃は、5号機末期~6号機初期の現在につらなる暗黒期とは違って、わりとパチンコで勝ててしまった時代であったため、パチンコばかり打っていて、しっかり留年までしていたにも関わらず、就職活動などに身を入れることはまったくありませんでした。
当時のパチンコは、自称パチスロの自分であっても、10日稼働の稼ぎで最高月間利益が40万を超えた月などもあるくらいに「勝てた」わけですから、初任給の二倍を手に入れているような経験をしている学生がまともな就活にとりくむはずもなく「まあ、将来はパチプロとして食っていけばいいわな」と甘く考えていました。
5号機時代の終わりの始まりと人生の暗黒が重なる
当然、そんな甘い考えでは人生はどうにもならなかったのですし、大学卒業から、無職とフリーターを繰り返してパチンコを打っていたギリギリの時代のころは、5号機が黄金期から衰退期に向かっていく過渡期と重なってもいました。
人生とパチンコの暗黒期が歩調を合わせるようにして、どんどん勝てなくなっていき、最高月間利益として40万円を出したかつての栄光がまるで嘘であったかのように負けが立て込み、借金を抱え、親や知人への金の無心なども頻繁になっていくのは、あっという間でしたね。
それでもパチンコをやめることができず、依然としてパチプロ志望のまま、『エウレカセブン』のハンドルを手放さなかったのですから、当時の私の「ギャンブル依存」がいかほどであったかがよくわかるというものです。
襲い掛かる生活苦、度重なる家賃と公共料金の滞納などに追い立てられ、また、親への無心からのギャンブル狂の発覚などが重なり、結局、鹿児島に強制送還される形で都落ち、ということになったわけです。
パチンコ禁止令、そして就活へ
鹿児島に強制送還された私に与えられたのは、両親からの「パチンコ禁止令」と「就職命令」の二つです。
これは、無職でパチンコばかり打っていた自分にとっては、二重の死刑宣告のような命令に感じられましたし、当時は本当に苦しいものでした。
職歴も能力もなく、労働意欲もなく「パチンコ打ちたいな」という心ここにあらずの煩悩まみれの私が、ハローワークなどに足しげく通ったところで、職にありつけるはずもありません。
求人情報を見ては「最大月間利益40万」の記憶がちらつき、手取りとの落差に愕然とする、というようなパチンカス特有の失望も味わっていました。
決定的だったのはハローワークの近くにマルハン鹿児島新港店があったことで、私は「パチンコ禁止令」を破り、ハローワークに行くふりをしてパチンコを打ち始めることになるのですが、秘密のパチンコ通いはあっさりと両親にバレることになります。
パチンコ以外のことに考えが及ぶようになる
ハローワークに通わせたところで一向に就職をしないことに業を煮やした父親が、コネを使って紹介し、無理に頼み込む形で就職させてくれたのが、現在の「ある程度の固い仕事」こと、営業職となります。
もちろん、まともな職についたことがなかったため、迷惑はかけまくり怒られまくりの日々がしばらく続いてはいたのですが、不思議なもので、労働によって「無為」の時間が減ることで、私に大きな変化が訪れました。
無職のときは時間が余りすぎていて「パチンコか死か」というようなゼロか100かの思考しかできなかったのですが、労働によってもたらされる疲労により「パチンコよりいますぐ眠りたい」とか「パチンコを打っている暇はない」というように、思考形態が少しずつ変化していくことになったのです。
「仕事がつらすぎる、パチンコが打ちたい」という気持ちになることもしばしばでしたが、労働の疲れによる思考形態の変化は、私に「パチンコとの距離を置く」ことを可能にしたわけです。
結果的に、就職はギャンブル依存からの脱却の成功への第一歩となったのです。
営業の社用車とオンラインカジノの相性が抜群だった
オンラインカジノという遊びをあくまで労働の息抜きとして遊ぶようになったきっかけとしては、私が営業職についたことも大きいでしょうね。
外回りの営業職は忙しいときと暇なときの落差が激しいですが、この「暇なとき」にできるギャンブルとして、オンラインカジノというのは実にちょうどいいのです。
近年の社用車は、社員の「サボり」を監視するために車載レコーダーが搭載されていますし、社員用のスマホにはGPSも搭載されていますから、仮にパチンコ屋の駐車場などに車を止めようものなら、サボりながらパチンコを打っていたことなどはすぐに上司にバレます。
しかし、オンラインカジノであれば、車内にいながら、モンストなんかをプレイしているフリをしながらギャンブルができますし、弁当などを食べて昼食休憩をとりながらでもカジノが楽しめます。
また、労働がキツい日の車内休憩中であれば、苦労して手に入れた軍資金が溶けていくことにリアルな危機を感じ、すぐにプレイがやめられる、というストッパーの役割も果たしてくれました。
書きためられていくオンラインカジノの備忘録
かくして、私はパチンカス時代のようなギャンブル中毒は回避しながら、営業車プレイという制限されたプレイスタイルで、オンラインカジノの基本的な遊び方や醍醐味、攻略法などを身に着けていくことになりました。
さらに、車内での暇潰しがオンラインカジノのプレイだけでは足りないようなときに、さらなる暇潰しとしてオンラインカジノの忘備録を少しずつ書き残すようにもなりました。
当サイト“メガウィキ”に掲載されているオンラインカジノにまつわる文章はすべて、オンラインカジノに関する考えがまとまった結論に到達し、熟成したときに、これらの車中忘備録をもとにして書かれたものです。
オンラインカジノの知見でパチンコの負けを取り返すために
しかし、この“メガウィキ”には「パチンカスだった自分の過去を清算したい」という気持ちが込められていることも確かです。
現在こそパチスロライターの森本レオ子さんの写真集を電子書籍で購入して鑑賞する程度のゆるやかな付き合いにとどまっている「パチンコ」は、かつてパチンカスであった私にとっては人生そのものでしたし、それをすべて「無駄だった」ということにはしたくないのでしょう。
現在、私が「人生の刺激」としてオンラインカジノを適切な距離で遊べているのは、パチンコでの失敗経験のおかげです。都落ちと営業職への就職なしには、私は今のようにオンラインカジノと関わることはできなかったでしょう。
「オンラインカジノについて意味のあることを書く」という行為は、単なる暇つぶしである以上に「パチンコで人生を棒に振った」ということを認めたくない筆者の一つのささやかな抵抗なのかもしれません。
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