食わず嫌いをやめて【遊雅堂のスロット】を回しまくってみた
オンラインカジノでは、やはり少しでもカジノ気分を味わいたいもの。
ですから、遊雅堂で遊ぶときは基本的にはポーカー、ブラックジャック、バカラなどのいわゆる「ライブカジノ」の遊びに集中してしまい、実はスロットゲームをほとんどプレイしたことがありませんでした。
登録したばかりのころ、遊雅堂にどんなゲームがあるかを確認したときに、スロットゲームは軽く弄ってみて、「まあ、これならパチンコ打ったほうが楽しいし、オンラインカジノでわざわざ遊ばなくてもいいかな」と感じて以来、まったく手を付けていない状態が続いていたのです。
スロットで一切遊んでいないのは、一種の食わず嫌いでもありますし、行きつけの定食屋では食べるメニューが決まってしまっていて案外食べたことがないメニューが多い、というのに似ています。
これは裏返すと、遊雅堂というオンラインカジノが、自分のなかで行きつけの定食屋のような気楽さで関われる、ちょうどいいオンラインカジノであるということも意味しているでしょう。
遊雅堂のスロットを回しまくった一夜から得た知見
さて、そんな食わず嫌いで敬遠していた遊雅堂の「スロットゲーム」を一晩で回しまくりました。そして、食わず嫌いの直感はやはり正しかった、ということが判明した次第です。
私がなぜ唐突にスロットゲームで遊びまくるなどという酔狂な暴挙に及んだかというと、「賭博の負けは賭博で取り返せ」が口癖だった亡祖父の影響で、おじいちゃんっ子だった私がその賭博哲学をしっかり受け継いでいたからに他なりません。
要するに、しょうもない話ではあるのですが、「昼にパチンコで大敗したから、夜にスロットで取り返さないと気が済まなくなった」というわけです。
負けの悔しさがふつふつと全身にまわってきたときは午前2時ごろで、そうすると、当然パチンコ屋は開いておりませんから、24時間いつでもオープンの遊雅堂にログインする以外に選択肢はありません。
結果としては、パチンコの負けを、遊雅堂で取り返すことはできなかったのですが、これを最後の機会に、メインの遊びがライブカジノに戻っていきスロットとはまた縁が遠くなるでしょうから、備忘録的に遊雅堂のスロットゲームについて得た知見を書いていこうと思います。
遊雅堂のスロットゲームは「脳汁」が出るのか?
ギャンブルにおいて何が最も大事かは人それぞれかと思いますが、私の場合は「脳汁が出るかどうか」がかなり重要だったりします。
では、今回がっつりスロットゲームで遊んでみて「脳汁」はどうだったか?というと、「出そうで出ない」というようなイマイチな手応えだった、というのが正直なところです。
そもそも、遊雅堂でスロットを選ばずポーカーなどのリアルカジノを選び続けていたのは、ちょっと遊んだ感覚で「スロットゲームではあまり脳汁が出なそうだな」と判断したためですが、その予感が的中したかたちとなります。
なぜ脳汁が出ないのか。このようなイマイチの手応えになった最大の理由としては、「勝った感覚がいまいちつかみにくい」というのが挙げられるかと思います。
それぞれに「脳汁」が出ない二種類のスロット
遊雅堂のスロットゲームは、大きく落ちものスロット(カスケード式スロット)とクラシックスロット(パチスロ風スロット)の二種類に分けることができますが、その大きく分けた二種類のスロットが、それぞれに、「脳汁が出にくい仕組み」になっているように感じます。
二種類のスロットは、大きく分けられたあと、ゲームの内容(ビジュアルや演出やちょっとしたルールなど)が微妙に違っていますが、基本的にはほぼ同じ構造での膨大な数の変奏となります。
個人的には、ほとんど同じであるのだから、こんなにたくさんゲームを用意しなくてもよかったのでは、と感じざるをえません。
スロットの数を増やすより、根本的かつ構造的な問題を解消したほうがよいのでは、と思われるのですが、これは遊雅堂ばかりの責任とはいえずオンラインスロット全般にわたる問題でもあるので、ないものねだり、ということにもなりそうです。
落ちものスロットは勝利の感覚が希薄である
まずは「落ちもの式スロット」の「脳汁の出にくさ」の原因を探っていこうと思います。その原因は「勝利の感覚の希薄さ」にあります。
落ちもの式スロットは、ゲームでいうと「ぷよぷよ」とか「ヨッシーのクッキー」のようなものに近いのですが、「ぷよぷよ」などのゲームとまったく違う点として「自分の力で連鎖を組むことができない」ということが挙げられます。
パチスロになじんでいるギャンブル好きの自分が言うのもヘンな話ではあるのですが、「連鎖」が快楽を呼ぶタイプのゲームがぜんぶ「運」だけに支配されていると、個人的にはそれだけでかなり興醒めしてしまいます。
「落ちもの式」のゲームというのは、自分の力で築きあげたものを一気に消し去る瞬間に「脳汁」が出るのであって、スロットを回していたら勝手に連鎖が起こる、というのは、「脳汁」が減少するのは当然といえます。
興奮をするための糸口をつかむ難しさ
連鎖が運だけで展開する、というのは、興奮をするための糸口がつかみにくいということにつながります。
遊雅堂で一番人気の落ちもの式スロット「ムーン・プリンセス」シリーズは、美少女戦士セーラームーンのような似て非なる美少女戦士たちがメインのビジュアルになっていて、「顔のアイコン」や「ブローチ」などのパズル連鎖に応じて獲得金額が上昇し、セーラー戦士の変身がきらびやかに展開していく、というスロットです。
この「ムーン・プリンセス」で遊んでいるあいだ、私は何回か大当たりを出しもしたのですが、結局のところ「これとこれが組み合わさると消える」という仕組みが最後までよくわからなかったし、そもそも「運」で連鎖が起こる以上あえて理解しようという気持ちにもなれませんでした(よくわからなくても、何の問題もなく遊べたので)。
クラシックスロットの場合、たとえばわかりやすく「7」が二つ並べば興奮することができますが、ムーン・プリンセス・シリーズは、画面を覆いつくす形で美少女戦士とブローチが落下してきて、こちらが画面を判断するまえに、あれよあれよという速度で連鎖が展開していくため、「興奮」のための糸口をつかむのが極めて難しくなっています。
この「興奮するまえに勝手にどんどん消えていく」という感覚は、「ゲート・オブ・オリンパス(ギリシャ神話をモチーフにしていて、基本的にはプリンセスシリーズと同じ)」「モチモン(巨乳がメインビジュアルであること以外はほぼ同じ)」「トーム・オブ・マッドネス(ハリーポッター風で大体同じ)」などをプレイして、すべての落ちもの式スロットに共通してあった感覚です。
継続的に遊んでいけば楽しめる可能性は多少ある
もちろん、「ムーン・プリンセス」のような遊雅堂でしか遊べない落ちものスロットも、長く継続的に遊んでいけば、脳汁が分泌される可能性はあるでしょう。
しかし、美少女戦士とブローチが落下してきた瞬間に何がどのように消えて連鎖を起こすかを一瞬で把握し、脳汁が一気にあふれでる、というようなところまで自分を持っていくためにこのスロットを継続的にプレイしていきたいか?と聞かれると首をかしげざるをえません。
余談ですが、美少女戦士風の演出だったこともあり、「脳汁」という点でいえばセーラームーンの変身シーンを初めて見たときの興奮と比較して物足りなさを感じもしました。
しかしこれは、昼のパチンコと同様にムーン・プリンセスでもトータルでは負けてしまったので、これに関しては八つ当たりみたいなものですね。
ゲーム性とは関係なく、個人的に笑ってしまったのは、「ボンサイスピンズ」や「ラッキー・ブッダ」といったスロットでしょうか。
これはさすが「日本人が、日本で、日本円で遊べる日本人のために生まれたオンラインカジノ」と標榜している遊雅堂らしいコンテンツというか、「日本人」のイメージの軽薄さがなかなかナイスだと思いました。
とはいえ、これらのスロットも「勝ち」の仕組みがよくわからず、特に「ラッキー・ブッダ」のルールのわからなさは、ひょっとすると『大乗起信論』や『正法眼蔵』以上の難解さだったかもしれません。
パチスロ風スロットはパチスロを超えられない
続いて、クラシックスロット(パチスロ風スロット)の「脳汁の出にくさ」の原因を探っていきますが、これは「落ちもの式」よりも話はだいぶ単純で、オンラインのパチスロ風スロットはパチスロを超えられない、ということに尽きます。
結局のところ「パチスロ」ではなく「パチスロ風」であるということが、「カニ」ではなく「カニカマ」であるのと同じ意味で、パチスロ風スロットの物足りなさをすべて説明しているのではないでしょうか。
もちろん、カニカマなどにはカニカマだけのおいしさがあるように、パチスロ風スロットには独自の楽しみがあるものの、決定的な違いがある、という事実はやはり覆すことができません。
プレイしたのは、「桜田バトルエンジェル」「ハワイアンドリーム」「花魁ドリーム」などの代表的なものですが、これらはまさに「パチスロ風」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
架空のロボアニメ風の演出が展開する「桜田バトルエンジェル」はパチンコでいうとCRエヴァンゲリオン、「ハワイアンドリーム」は海物語、「花魁ドリーム」はCRほしのあきとかCR及川奈央などのお色気台が、それぞれ対応するかと思われます。
パチンコのすごさが逆説的にわかるのがパチスロ風
「パチスロ」にあって「パチスロ風」に欠けているものは、身体性と迫力であり、パチスロ風をプレイすると、パチンコのすごさが逆説的に理解できます。
パチンコスロットの「脳汁」は、あの爆音の店内で、椅子とハンドルの感触を絶えず感じながら、視覚と聴覚を異様なまでに刺激する過剰な「演出」が当たりの感覚と連結していることからくるものです。
「パチスロ風」、たとえば「桜田バトルエンジェル」は、CRエヴァンゲリオンの演出に比べたらあまりにつつましく、「スロットがそろった」という事実と小規模な演出では、やはり「脳汁」はなかなか分泌されません。
美少女戦士の変身シーンと同じように、シンジとアスカのツイスターゲームが我々にとっていかに「脳汁」をドバドバ出させるものであったかが偲ばれもしますが、これもまた当然、「桜田バトルエンジェル」でも負けまくったことからくる負け惜しみと言われればそれまでです。
「パチスロ風」は、しかし、「パチスロ」のすばらしさを改めて認識させてくれるという点ではプレイする価値があったとも思います。
ネット麻雀の楽しさがリアル麻雀には到底かなわないのと同じで、こればかりは仕方のないことです。
日本人がいちばんオンラインカジノを楽しめるという発見
冒頭で、私は「オンラインカジノでは少しでもカジノ気分を味わいたい」ということを書きましたが、遊雅堂のスロットゲームをプレイして一つ、「オンラインカジノをもっとも楽しめているのは日本人なのかもしれない」という感想をもちました。
というのも、先ほどの「パチスロ風」と「パチスロ」というのは、そのまま「オンラインカジノ」と「カジノ」の関係とパラレルであるからです。
私はリアルな「スロット」の楽しみを知っていたために、遊雅堂のスロットから「脳汁」を引き出すことができなかったのですが、同時に、海外の「カジノ」を知らないからこそ「ライブカジノ」で遊んでいてもそれを「カジノ風」とは思わずに済んでいる、ということに気づかされました。
遊雅堂は、真に「日本人のために生まれたオンラインカジノ」であり、海外カジノのリアルな現場を禁じられた我々に与えられたプレゼントなのかもしれません。
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